彦根文化遺産

彦根足軽屋敷の街並

伝統工芸

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城下の伝統工芸

彦根には、江戸時代の創業という仏壇店が軒を連ねている界隈がある。彦根城の南東、芹川沿いに七曲りと呼ばれる地域に、「彦根仏壇」の伝統技術が息づいている。

彦根仏壇は、木地・宮殿・彫刻・錺金具・漆塗・蒔絵・金箔押の7部門の各職人が仕事を分担して制作しており、これを「工部七職」と呼び慣わしている。彼らが制作した部材を問屋が組み上げ、仕上げを施して販路に流すのである。したがって、部材の多くは職人から職人へ移動しながらしだいに完成していくため、職人はおのずと近くに集住し仏壇街を形成した。そのことは今も変わらず、連綿と続く歴史的建造物が仏壇職人の作業の場となっている。七曲りの中位に位置する仏壇店は、中二階に白漆喰で虫籠窓を設け、1階を作業場兼展示スペースとする典型的な店構えである。玄関を入ると板敷きの作業場が広がっており、完成した仏壇が壁に面して並び、中央には作業台があって職人による組み立てなどの作業が行われる。客が来ると作業の手を休めて完成した仏壇を見せながら商談の場と化す。こうした仏壇店が七曲りの通りの両側に数多く存在する。伝統的な技術と歴史的な景観が一体となって今日に継承されており、良好な市街地を形成している。

彦根仏壇七職

彦根仏壇七職

七曲りは、中山道の高宮宿方面から彦根の城下町にいたる彦根道に沿って築かれたまちなみである。前方を見通せないように通りを幾度か屈曲させているところから、七曲りと通称されたものである。正保元年(1644)に町割りが行われ、初期には古鉄屋・塩屋・道具屋などが多かったが、やがて仏壇関連の職人が集住するようになり、今日の仏壇街に至っている。近年は家具調の小形仏壇の開発など、若い職人の感性による商品開発も活発になっている。

一方、江戸時代には、城下町の外堀の外側に位置する外町(とまち)の中心的な町として河原町があった。花しょうぶ通りは、河原町の上手にあり上河原町と称した。日用具を売る店が多く見られる賑やかな町であったが、今日でも江戸時代以来の歴史的建造物が数多く残り、花しょうぶ通り商店街として、歴史的建造物の建物内で昔ながらの糀(味噌)屋・蝋燭屋・魚屋・酒屋などの商いをする人たちが健在である。

彦根ろうそく

彦根ろうそく

糀屋は江戸時代中期頃に創業と伝える老舗であり、今も江戸時代以来の製法で味噌を作り、店頭販売している。蝋燭屋は、「彦根ろうそく」として広く知られた特産品であった。質がよく長持ちするのが「彦根ろうそく」の特徴であり、作りが丁寧であった。手作りの芯のまわりに熱い蝋を手で掛けて作るところから、「生掛けろうそく」とも称された。幕末に創始され、現在は4代目の当主が店を守っている。「城下町夢あかり館」で創作蝋燭の指導を行うなど、「彦根ろうそく」の普及に努めている。花しょうぶ通りの入り口近くに店を構える魚屋は、新鮮が売り物。中二階に出格子窓を設けた伝統的な店構えの1階では、馴染みの客との間に威勢のよい会話が弾む。江戸時代には、琵琶湖の幸などの魚介類は船町から城下を経て本町近くの魚屋町に一度集積された。魚屋町には今も入口に井戸を残す家が多いが、城下の魚屋は、魚屋町の魚問屋を介して仕入れ、店頭売りや荷い売りを行った。酒屋は大きな店構えの造り酒屋である。奥には幾つもの土蔵が並び、酒の甘い香りが漂う主屋とともに重厚な造りが特徴である。