山と信仰
荒神山 葬送の山から信仰の山へ
荒神山の山頂にある荒神山神社は、厄災を祓う荒神として広く信仰されている。中でも毎年6月末に催される夏越しの祓「水無月祭」は、荒神山神社最大の祭としてよく知られる。拝殿前のススキで作られた茅の輪をくぐって無病息災を祈り、子どもを火の災いから守るために子ども神楽が奉納される。山麓の遥拝所には露店が並び、大変な賑わいとなる。
また、山中の南西に位置する稲村神社は、春季例大祭「太鼓登山」が良く知られる。山麓9町がそれぞれ受け台に乗せた大太鼓を、各町から稲村神社に担ぎ上げるのを競う勇壮な行事である。担ぎ棒を組み立て、大太鼓を台に乗せて飾るなど祭の準備は若衆が行う。およそ100年の歴史があると伝える。
荒神山周辺は、彦根では早くから開発の進んだ地域である。おそらく水稲農耕の伝来とともに、近くを流れる宇曽川の水を引き込んだ水田開発が始まり、やがて水稲農耕がもたらす富を一元的に掌握した人物によって荒神山の山頂近くに全長124mの大型前方後円墳(古墳時代前期)が築かれた。
そして古墳時代後期になると、山中に小円墳が 30基以上築造されるなど、古墳時代を通じて葬送の山として機能してきた荒神山であるが、奈良時代以降、新しく伝来した仏教の要素が加わり、神仏への信仰の山となった。室町時代には平流山と呼ばれ、山頂の奥山寺と山麓の天台宗寺院や神社が深く関わりながら、天台宗延暦寺系の修験の一拠点であったことが知られる。江戸時代になると、奥山寺は厄災を祓う荒神として今日に至るまで広く信仰されている。奈良時代以降、荒神山は長く信仰の山として存続しているのである。